自分にとっては「正」でも相手にとっては「誤」であることもある。
2006年 02月 07日
2日間も日記を書かなかったのははじめてだと思います。
親が今有給を取っていて、いろいろ話す時間が多かったのです。
人と人とはいつも分かり合えるとは限らない。
お互いにどこか譲りながら付き合っていくものです。
自分にとっては「正」でも相手にとっては「誤」であることもある。
つまり、相手にとっての「正」が自分にとって「誤」であることもある。
少しのズレなら誰との間にでもあること。
でも全く価値観が違うと、きっとすごく辛い。
それを無理にわかろうとして、でもわからなくて
人は苦しんだりするんだと思います。
そしていつしかわかろうとすることをあきらめてしまう。
時には妥協しなければいけない。
でも、自分の考えを曲げること=相手の気持ちを理解すること
ではないと思います。
自分の考えを曲げずとも相手を理解することはできる。
たとえ自分が折れた、もしくは負けたとしても
それは自分の考えを曲げたということではない。
相手にとっての「正」を理解した、
その結果だということもあるのではないでしょうか。
自分は間違っていない。だけど、相手も間違っていない。
そういうことってきっと多いと思う。
「何で私の気持ちをわかってくれないの!?」って思ったら
きっと相手もそう思っている。
まずは相手の気持ちを考えなくては解決しないのだと思う。
相手は「悪」だと決め付けたらおしまいだと思う。
っていうことを母親に言おうとしたんだけど
うまくいえないんだなこれが。
やっぱり母と娘。
わたしの方がいつも言いくるめられちゃうんだよね~。
親が今有給を取っていて、いろいろ話す時間が多かったのです。
人と人とはいつも分かり合えるとは限らない。
お互いにどこか譲りながら付き合っていくものです。
自分にとっては「正」でも相手にとっては「誤」であることもある。
つまり、相手にとっての「正」が自分にとって「誤」であることもある。
少しのズレなら誰との間にでもあること。
でも全く価値観が違うと、きっとすごく辛い。
それを無理にわかろうとして、でもわからなくて
人は苦しんだりするんだと思います。
そしていつしかわかろうとすることをあきらめてしまう。
時には妥協しなければいけない。
でも、自分の考えを曲げること=相手の気持ちを理解すること
ではないと思います。
自分の考えを曲げずとも相手を理解することはできる。
たとえ自分が折れた、もしくは負けたとしても
それは自分の考えを曲げたということではない。
相手にとっての「正」を理解した、
その結果だということもあるのではないでしょうか。
自分は間違っていない。だけど、相手も間違っていない。
そういうことってきっと多いと思う。
「何で私の気持ちをわかってくれないの!?」って思ったら
きっと相手もそう思っている。
まずは相手の気持ちを考えなくては解決しないのだと思う。
相手は「悪」だと決め付けたらおしまいだと思う。
っていうことを母親に言おうとしたんだけど
うまくいえないんだなこれが。
やっぱり母と娘。
わたしの方がいつも言いくるめられちゃうんだよね~。
by silicageler
| 2006-02-07 22:34
| にっき